槇原敬之「どんなときも。」
僕の背中は自分が 思うより正直かい?
誰かに聞かなきゃ 不安になってしまうよ
旅立つ僕の為に ちかったあの夢は
古ぼけた教室の すみにおきざりのまま
あの泥だらけのスニーカーじゃ
追い越せないのは
電車でも時間でもなく
僕かもしれないけどどんなときもどんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち抱きしめてたい
どんなときもどんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから
もしも他の誰かを 知らずに傷つけても絶対ゆずれない 夢が僕にはあるよ
“昔は良かったね”と いつも口にしながら
生きて行くのは 本当に嫌だから
消えたいくらい辛い気持ち
抱えていても
鏡の前笑ってみる
まだ平気みたいだよどんなときもどんなときも
ビルの間 きゅうくつそうに
落ちて行く夕陽に
焦る気持ち溶かして行こう
そしていつか誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるようにどんなときもどんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち抱きしめてたい
どんなときもどんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから
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往年の名曲。
槇原敬之自身が浪人中に作詞作曲したと聞いて、自分へのメッセージともとれるし納得が行く。
日本人の性格的に、というか現代社会では「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」と言えない人が多いと思う。大方悪い意味で。自分もそうならないように気をつけていたつもりだったがいつしか染まっていた。
なんだかもやもやしている時に聴きたい1曲。
やや重めですが
残酷だなと思われるかもしれないが、人なんて簡単に死んでしまう
一歩家から出れば、命を脅かす危険ばかりだ
車、電車、殺人鬼...
それこそあなたにとって大事な人が今日死んでしまうかもしれないし、もちろん自分自身も
そう思うとなんか吹っ切れるというか、所詮人間なんて弱い生き物なんだなと思う
僕は延命治療というものをあまり好まない
人は死ぬ時は死ぬと思っているから
こんなこと書いていると、
ああ、病んでいるのか
なんて思われてしまうかもしれない
でもそうじゃなくて、僕は再認識したに過ぎないと思っている
この前祖父が亡くなり、つい数ヶ月前まで元気だった人がこんなにもやせ細って死んでいくのか、命はこんなにも脆いものなのかということを改めて思い知らされた
人は慣れてしまう
何気なく暮らしていることが当たり前になっている
それはある意味幸せなことなのかもしれないが、同時に平和ボケしているとも言える
今もこうしている内に内戦や紛争が絶えない
自分に何が出来るんだろうと考える
直接なにかすることは難しい
できることは、それらの事実を知り自分たちがいかに安全で平和な暮らしを過ごせているのかということを再認識することだと思う
だからこそ視野を広げていないといけないし、不幸や災いから目を背けてはいけない
あと二つ
テストも残すところあと二つ
書きたいこといっぱいあるので早く終わって欲しい
帰省していろいろ見つめ直す事見つかったしそこら辺も書きたい
時間は自分で創り出すもの。甘えていてはダメ
思わぬ形で
ただいま実家です
おじいちゃんのお葬式のため急遽帰省してます
またいろいろ思うことがあると思うので更新します
にしても実家心地よすぎる、帰りたくない。。
黙っててもご飯が出てくる幸せ
最近ろくなもん食べてなかったので身に染みます、ありがとう
ひとまずこれで
おやすみなさい
方向性
しばらくブログ更新してませんでした
なぜ更新できないのか、続かないのかを自分なりに考えてみました
「立派なものにしようとする」から
これに尽きます
完璧なもの、長いもの、起承転結で終わるもの
なにか見えない縛りを自分で作っていたように思います
これは日記とか、継続するもの全般に言えそうなのですが……笑
自分が「継続すること」に弱い理由がわかったので、今後は緩く、ほそぼそと息をしていきたいと思います
よろしくおねがいします。